内容が、無いような重いブログ

『重いだけじゃん』と言われたら僕の体力が9割消える。 普通は考えないこと、考えてもいちいち言語化しない事にスポットライトを当ててきます。

人やコンテンツに金をかける尺度を測るモノサシはない

最近、自分が見ていたブログが一部の読者だけ見れる有料購読になった。

あるジャンルに特化したブログで、単純に有益な情報でなく自分の感情も巧みに取り入れ、ただ単に文章を書くだけでなく本当に好きなことを題材にしてるんだな、と感じるブログだった。

世の中、ある程度の固定層や一定の地位を得た場合、有料となる要素を取り入れ、自分自身の方向性や価値を高める行動はよく見える流れだ。

 

勿論、単純に僕自身コンテンツに金を払う行為が単純に面倒だし嫌いというのもある。だが同時にあるサービスやコンテンツが人気になったとき、『まあこうなっても仕方ないよなあ。』と感じる。

 

なんでそもそもこうなるんだろう?

そんな疑問を感じ少し考えてみた。

 

 

 

 

金を払いたくなる心理

 

なかなかいい資料を見つけた。

アンダーソン氏が提唱する5つのルール
アンダーソン氏は、ゼロ化への対抗策として5つのルールを提案している。
1.最善のモデルは有料コンテンツと無料コンテンツをミックスすること
2.よそでも真似できるようなものを、有料限定にしてお金を取ることはできない
3.サイトの中で最も人気のあるコンテンツで料金を取ってはいけない
4.有料コンテンツはニッチに訴求しなければならない
5.ニッチは狭ければ狭いほどよい

出典:有料ゲーム危機の時代 iPhoneアプリは「ゼロ化」の法則に立ち向かえるか

 

 なるほど…、僕の見ていたブログにもかなり共通する。

コンテンツに特異性がある場合、そのコンテンツ自体は有料足り得るようだ。

恐らく段階を得て、有料化するように予め計画してたのかもしれない。

 

何もブログだけでなく、僕の過去にお偉い人と飲みに行った時に、

『最初から金を稼ぐのではなく、地盤となる知識を付け経験を積みそれらが十分になった時に講演など自分の知識を出す場で稼ぐことが出来る。足を速めるな』と。

また例えば、カリスマ美容師等が率いる勢いある美容院が東京の激戦区である美容院が非常に斬新な取り組みを行った。

その中で一部のスタイリストが元々地方より高価なカット料金を更にほぼ倍額にする取り組みがあった。  *1

僕としては、失敗するだろうと軽いノリで見物してたようだが既に固定客が十分におり地盤はできていたようで更に事業を成功させるはこびとなった。

自分が好きなジャンルでもそういった手段と考え方と方向性によってはどんな人でも柔軟にお金を払える、またはもらえる世の中にいつの間にかなっていた。

 

 

金を出す尺度って誰が定量化できるの?

結論から言うと誰もできないと思う。

何故ならそこから有料化できるコンテンツは唯一無二であり、自分の裁量でいくらでも金銭要求額を変えられるし、また提供者側も金銭支出の歯止めが効くとは限らないからだ。

競争がない市場、コンテンツは間違いなく平等でなく、そのコンテンツに長い目で見ると永続性がないように感じる。

 

例えば、少し古くなるがソシャゲでも異常に低確率な当たりを公言せずに不平等である、と問題になったことがあった。 *2

だが本来はそもそも話題になること自体がおかしいのだ。

何故ならそれが正当なコンテンツなら、未然にこのような事態を防げるように感じる。

そして規制を始めようとする流れが出てくるあたり、非常にこれらは不安定で流動的で不完全なものであると感じる。

急にコンテンツの価値がなくなったり、平気で消えたりするのだ。

 

 

 

金を出すことに自分が感じること

正直なところ僕はこれらのコンテンツに滅多に金を出さないので今一的外れかも知れない。

個人的には何か絶対消えて欲しくないコンテンツがあるとして、僕はそれに金を費やしてもいいとは思ってる。

だが、個人で有料化を始めるとき今後そのコンテンツがどうなるか考えておきたくなる。

突然当たり前のように出されてたものが出されなくなったとき、僕の知る限りでは高確率でモメてる。

 

同時に非常に高額な金銭を元々有力なサービス、コンテンツにかけることで更に価値を独占的に高められるケースもある。

今の時代は昔に比べて便利だ。誰でも気軽に何かを提供しやすくなった。

その活動をするのに、投げ銭や何かしらの援助をしやすくなる取り組みはいい流れだと思う。

提供する側にとっても夢があり、その世界に勢いがつく。

けど援助をする前にひと呼吸。それを払って本当に意味あるのか、と最近考える。

 

例えば、激安商品店でよく見られる『当店より一円でも安い商品があったらお申しでください』という文言。

インターネット上の有名人が本来のコンテンツから外れた私生活等が有料で見られるコンテンツ。

金銭的価値が変動する、という意味では同じだろう。

けど本当に…本当に同じか?そこで変わるお金で一円単位で見ると同じ価値か?

正直うまいこと伝えられないけど…、一回僕なら考えたくなる。

 

『こいつに金出したいか?』とか『払ってそれが残るのか』とか『そもそもたくさんの奴が払ってるのに俺だけになにかのメリットがあるのか』とか。

 

あなたはお金を払うその行為の価値や尺度を考えたことがありますか?

 

不明瞭な問題を思うがままに書き連ねました。今日はこんな感じでーーー

 

 

 

 

今日の糞発言:ニンテンドースイッチオンラインには金払うわ。やりたいからな

 

 

*1: Ocean Tokyo.メンズ特価サロン。渋谷原宿のカット相場【約7000円前後】を、一部超人気スタイリストに限り、大幅に12000円へと値上げしたが人気を維持している。

*2: グランブルーファンタジー。特定のキャラクターの出現率が極端に低く出現確率を名義していない為、非常に消費者側に非平等との指摘があった。詳しくはグラブル ガチャ規制あたりでggってどうぞ