"ガチ勢だらけの椅子取りゲーム"という熱情を天窓越しに見つめて
ガチ勢とその他の距離感
そもそもブログというものをまともに始めたことがなく、僕としては事前情報が欲しくていろいろ調べていた。
当然なんの知識もないが、ないからこそ出てきた思った率直な意見は、『なんか PVとか SEOとか 収入とかガチすぎねえ!?』って事だ。
僕としては単純にブログの書き方、長続きの仕方、面白いテーマなどの掲載が初心者向けには大半だと思っていたがどうやら違うようだ。
ブログは個性を出せ、自分にしか出せない文章を書け、素直に書けというのは結構見てきたけど、割合収益関係や自分の成功したポイントなどをアピールした記事が初心者の目のあたる場所に多い。
事前準備として最低限のことを僕なりに調べてきたが、非常に雑な僕でも目に当たるからおそらくほかの人もこれらの記事は大なり小なり目撃するだろう。
僕はゲームが好きで、あまり上手くはないけどやっている。
まぁそのゲームの詳細は今度のブログのネタにするとして本題に逸れる前に戻るけど思った以上にネット上だとガチ勢の指南、激励、説明が多く初心者との熱量の差を感じる時がある。
僕もそうだけど、ある程度なにか物事に慣れた立場だとどうしても初めて遊ぶ人、初めてコンテンツに関わる人に対して熱量の違いが生じてしまう可能性もあると思う。
ある種、ブログというものに対して敷居の高さを感じる、というのは否定できない。
実際、どういうふうにやっていくのかわからないからこそ僕の主観で物事を見ており、その他大勢の方々との認識の違いもあるのかもしれないが。
初心者という今しかない目線で見据えて
さて散々、敷居が高いだの難しそうだの弱気で卑屈な事を言っているが、
同時に『人に見られてなんぼ!』『人気を手に入れるには』『どうせならお金も手に入れたいよね!』という欲求も理解できる。
そりゃそうだ、やる意味をブログに見出したい、そんな人が大半だ。
僕だって程度の差はどうあれ、できれば見てくれる人がいて欲しいものだ。
ただこれは読者や閲覧者の取り合いだし、『みんなが言ってるのも根底は競争であり全員が人気者になりえない高レートの椅子取りゲームに若葉マーク付けてる時から参加してるのでは?』
と記事を見るに思うときもある…が、正直僕のピントがずれてる気もする。
ただ僕の仮説が仮に正しかったとしたら、一定数はPVや人気を諦めてもらって、上の少ない定員で椅子取りゲームをするとお互いウィンウィンなのかもしれない。
やはり個性を出せ、といっても同じ人間という人種の中で多数の人が揃えてある程度整合性の整った意見というのは、かなり信ぴょう性が高く真理でもあるとも思う。
例えば散々見てきた『キーワードを意識しろ!』とかね。
1人なら信ぴょう性の薄い言葉でも100人が口を揃えていうのなら大分信ぴょう性が増す
ただある種、僕はブログを書き始めて間もない初心者だ。
ブログを長く続けて熟練者になろうとも、初心者を続けることは出来やしない。
その初心者 *1の短い間に生える感性、眼に見える景色、率直な言葉は今しか見えない、言えない、感じられないと思うからだ。
天窓とあえて形容したのも、朧ろげに『非常に熱意を感じる』と漠然とした雰囲気は感じられるも、見える範囲が狭くて不明瞭な様を示したつもり。
まぁ僕自身は天窓をこじ開けて同じフィールドに立とうとか想う気持ちはないんだけども。
今後目指したいもの
僕としては、まずブログなどを続けるのに必要なのはダントツでモチベだ。
ここだとはてなスターやコメント等なんだろうけど、若干名の人でも見てもらって反応もらえたらおそらく続くと見越して活動をしたい。
ただ色んな人が述べているブランディングを取り入れて書かないとその若干名の方々にも見てもらえないものなのかもしれない。
そう考えると多くの人が共通して述べる事項には目を向けなければいけない。
けど同時に失敗したら『それはそれ』と考えてはいるので、一番は自分の書きたいことを素直に書く事に全力を注ぎたい。
具体的な動機などは今度のネタにするとして、このブログが続くのかどうか保証もないが、上記でも言ったとおり、今でしか見えないモノ、感じられないものもあると考えて
高い天窓から見える朧げながらも熱情のある景色は自分との意識の違いを現している という言葉をこの記事に捧ぐ。
続けれいればまた違う景色になるのかもしれない。そのときはどんな風に映るかな
不明瞭なものを思うがままに書き連ねました。今日はこんな感じで―――
*1:僕がやめなければの話だが、