内容が、無いような重いブログ

『重いだけじゃん』と言われたら僕の体力が9割消える。 普通は考えないこと、考えてもいちいち言語化しない事にスポットライトを当ててきます。

感性の変化は"自分"によって変わるか。"他人"によってかわるか

あなたの感性はどのように変わっていったのか自分で考えたことがあるだろうか。

 

なぜいきなりこんなわけのわからない事を考えたというと2つあって

自分の事を振り返ったとき、ある年齢を境に急に新しいことに興味が湧いたり、急激に以前は必要だと思ってたものが必要なくなったりすることが増えたから。

もう一つは、少し弟と映画を見に行ったことがあってその時、映画自体にはそこまで弟は興味がないのについてきたのに対し、帰り際に満足そうに感想をいう様を見ると自分と比較すると『随分違うな』と考えさせられたからだ。

 

今回は、価値観の変化に他者が依存するか、しないか。

厳密にはどちら側に限局しているかもしれないが考えたい。

 

 

 

感性の変化は"他者"によるのか。"自身"によるのか。

感性が自分の中で変わった、とは上記で述べた。

でもなぜ変わったか。どういうふうにどういう影響で変わったか、と考える人は徐々に数が減っていくのではないだろうか。

 

僕の場合、昔はひたすらゲームばっかりやって旅行やら映画やら音楽やらその他諸々に興味がなかった。

子供という時期は貴重である。

僕もそうだがその貴重さを無視するかのようにいたずらに自分のやりたいようにやって時間はあるのに、時間がなくなりつつある今の年齢でやりたいことを一切やろうとしない子供時代がそこにあった。

本心で後悔もしてないけど何故してないのか、と思うときもある。

 

だけどここ2年程か…一定の年齢になって旅行に行くことに抵抗がなくなったり、音楽を聴き始めたり、普段見なかったようなニュースを見たり急に自分の中で価値観が変わった。

だけどそこで違和感なのは明確な理由が見つからないことだ。

少なくとも言えたのは、他者は一切関係なく自分の中で何か変わった、ということだ。

強いて言うなら、あまり自分の素性について言わないスタンスで進めたいので細かくは言わないが以前とライフスタイルが変わり、自分としても楽しく何かをしやすい環境になったからだろうか。

勿論それは有限であり、どこまで続くかの保証もないわけだが…

 

ここで対比材料として良い、と思ったのは直近のエピソード。

前もって言うと弟が僕にはいて、精神病を患っていて調子が悪い時が多い。

細かい話は後々のネタに言うとして本題に逸れない様に戻す。

僕自身当事者じゃないので解らない本人の苦悩、心情もあるのだが、自分なりにリフレッシュになれば、と思って弟を映画に誘った。

普段の様子から見てそれほど映画に興味がないのは解った。

人混みが嫌いなのと、普段遠出をほとんどしないタチだったので、田舎の映画館のレイトショーがいいか、と思いそこに誘った。

弟としては、最初微妙だと思ったのだろうが、映画を見終わったあと、車で帰路に着くのだが、その時普段調子が悪く、それに対する愚痴だったり苦労を喋る事が多い人間が映画の感想を結構熱心に語ったのだった。

 

僕としては映画の内容もそうだが、それ以上に僕が振り回したのにもかかわらず、『楽しい』と喜怒哀楽の楽があまりない弟が言うのが意外だな、と感じ挙動を見てた。

多分この様子だと聞いても大丈夫だろう、と思い『俺のやりたいように休日だからやったけどお前楽しかった?』と聞いら『楽しい』と言い、『家にいても悪い考え事をしてしまうことが多いから』 と言っていた。

 

なるほど…、だから自分の価値観と異なることを人と一緒にしても楽しいと言えるのかもしれない。

あまり人から得られるもの、人に勧められたもの、人と一緒に不本意でやり始めたことに対してあまり興を得られることがなかった自分からはそれが新鮮であり、武器であり、強みに見えた。

 

 

2つのあり方を見て自分が感じること

あなたはどっち側なのだろうか。

僕みたいに自己完結するタイプは少数だと予想はしているが、本当にそうなのかも解らない。

 

ただどちらもあるし、片方を阻害してはいけない、片方を優遇してもいけない。

どっちもあるし、どちらにもなれる可能性があると常に思うことが大事ではないだろうか。

僕自身、他者に影響されることが少ないからこそ余計にそう思う。

 

例えば僕自身は、自分の価値観が自分で変わることが多いことがわかるから自分の時間を大切にしたい、と思って他者との時間、他のことに費やす時間をバッサリ切れるメリットがあると思っている。

 

だが同時に例えば、Twitterなどで見られる『尊い』ってネットスラングだとか

他者と『○○っていいよね』といってお互いに共通の趣味を共有できたり、その敷居が比較的低く交友をもてる人を物凄く羨ましく感じる時もある。

ほかの人からしたら、『なんでそこまで考えるのか意味がわからない』と言われてもおかしくないだろう。

だが敢えて言うとしたら、僕はそういうことが全くできない人間だから。

 

だからこそその感性を大事にして欲しい。

僕自身も自分が年齢を重ねてくにつれて価値観が変わるって事実を感じられる事が嬉しい。

お互いフィールドは違うかもしれないが、たまに違うフィールドを想いつつ生きていきたい。

そして僕もたまに他者によって新たな価値観を得られるかもしれない場所に赴きたい。

 

不明瞭なものを思うがままに書き連ねました。今日はこんな感じで―――