『人』という母集団を上から見るか、横から見るか。
人は何か大きなも物事を成し遂げるとき一人では大抵できない。
組織を複数人で組んで実行する。
その時に本来、必ず必要である能力だと感じるのは、"人"を俯瞰的に見る能力"である。
最近、インターネットを見ていると感じることとして、
これらは年齢、経験、社会的地位の上昇、周りと比較した時の自分の立ち位置によって比例的に上昇ないし会得するものだと思っていたがどうやらそうでもないらしい。
今回はそららについて考えていく。
人を俯瞰的に見るということ
組織単位で人が存在するとき、自分がその組織で行動することでどういう影響を及ぼすか。他人がどういう行動をすることでどうなるか。
考える機会が全体として減っている、と感じる。
直近で見た例えば、『野球のキャッチャーは負けた時に責任を問われやすい。けどキャッチャーにばかり責任を追及しては勝てない』という文言。
僕自身は野球に詳しくなからそららの意見に対して答えを出すことはできない。
だが、もしこれらが事実ならばプロ野球という野球のカテゴリーで言う最高レベルの人材が集う場所でもこのような問題が発生することはすなわち
年齢経験地位などに問わず、俯瞰的視点を得る事は困難なのでは無いだろうか、という想像ができる。
またネットでも複数人が集まるグループで、『俺が!俺が!』『お前が!お前が!』と原因究明よりも自分と他人の点を点でつなぐような一方向的な意見のやり取りが多い。
ネットゲームでの戦犯探しやマウントの取り合い等もこれらだろう。
当たり前と言えば当たり前だけど同じ人間である。
人間は腕力で熊に基本的に勝てない。
全力で走っても、自動車には追いつけない。
その前提があるのに、種を超えた能力を持つことを平然と求める人間も出てくる。
特に自分はその場にいない場合平気で言う。
また同じ人間でも、努力の仕方や、習得速度や、癖には細かい違いもあり、組織単位での仕事量も変わる。
なのに例えば自分や他人の6時間分の働きを周りの人間も確実にできる、と無思考で思う人間も多く存在する。
またこれらを考えることをやめ自分の都合のいいように組織で言い、それらを求める人間も平然といる。
上記で言ったとおり、特定の条件や能力の差異がある、というのを考え組織にとっていい働きができるように努める事の特異性は高いのではないだろうか。
だってできない人が多いのだから。
俯瞰的視点の特異性
これらはある意味センスが非常に問われるものなのかもしれない。
特定の人物が権力を持つとき、客観的意見は出てこず、組織の中での自分を比較する材料が減っていく。
また自分が一番割合の多い要素から外れるとき、自分の現在の立ち位置まで降りてきてもらうように動く事を求める場合が多い。
こういう時に感情は厄介だ。客観性を失わせる。
そういう中で、自分と他人の関係を推し量り組織単位で推察し、『こうすればよくなるんじゃないのか』と考える事はたぶん口で言うよりとんでもなく難しい。
けどせめて俯瞰的に見たい、という意志を持ち、考えてみることは大事ではないだろうか。
何故ならそもそも前提としてできる人が少ない。
そこでできるならば、その人物はその組織で希少性があり、重宝される。
10人のうち、1人でも全体像を把握し、行動できる人間がいるならばそれは大変価値が有るように僕は思う。
僕としては、そういう視点を持ちたいし、そうなる事を自分の強みにしたいと思う時がある。
極論、なにか物事を複数人で組んで行うとき、『自分はここで必要ない』と判断したら『自分』という牌をきれる人間になりたいと僕は思うのだ。
個人的には組織に一人は必要である、と感じるのは
『なんでもかんでも一人でこなせて他人にもそれも求める人間』よりは『どんくさいけど、仕事を適材適所に任せるのに長けていて周りがスムーズに動いてく、のせていくのがうまい人間』の方が長期的に見るといいと思ってしまう。
前者はいるけど、後者はなかなか少ないといったイメージだ。
あなたは、俯瞰的な視点について考えたことがありますか?
またあなたは世の中で少ないかも知れない俯瞰的視点に長けていて、組織を機能させられる自信はありますか?
不明瞭なものを思うがまま、書き連ねました。今日はこんな感じで――
今日の糞発言:東京の次は大阪行ったんだけど絶対稚拙な文章と写真になるからあまりブログに取り上げる気にならなかった